誕生日:誰にでも訪れる日

65歳の誕生日に、仏教の生老病死について考えてみた
子どもの頃自分の誕生日に、意識して家族がお祝いをしてくれるのだろうと待っていた。
でも、何も変わらない夕食。
実家が農家でお茶の収穫時期でもあり、八十八夜でみんな忙しいから〜と、自分を慰めていた。
リベ大の両学長も言っていた。学長が父に話をすると「誰でも誕生日はあるからそんなに珍しいことではないんだよ」と言われたらしい。
それでも「誕生日おめでとう!」と言われると、生まれてきて良かったんだよな…と嬉しくなる。
2026年4月時点で世界の人口は82億人を突破していると、Googleが教えてくれる。
82億人すべての人に誕生日がある。
そう考えると、確かに珍しいことでもなんでもない、普通の毎日である。
生老病死という仏教の教え:四苦
最近は、高野山へ行ったこともあり「空海」さんを通じて、仏教に触れる機会が増えている。
生老病死という四苦であるが、生まれてくることも苦のひとつに入っている。
どうして?最近よく使っているClaude AIに聞いてみた。
「生」が四苦に入る理由(Claude AI調べ)
直感的に「なぜ生まれることが苦なの?」と思いますよね。でも仏教の「苦(dukkha)」は、単純な「痛み・辛さ」ではなく、**「思い通りにならないこと」「不完全さ・不安定さ」**という意味なんです。
「生」が苦である理由、主に3つ
① 生まれること自体が苦の始まり 生を受けた瞬間から、老・病・死という苦が「確定」します。生まれなければ苦しまなくて済んだ、という論理です。いわば苦の連鎖のスタートボタンを押すのが「生」。
② 生まれる過程そのものの苦しみ 胎内での苦しみ、産道を通る苦しみ——インド的な身体観では、誕生のプロセス自体も苦として捉えられていました。
③ 輪廻(サンサーラ)の文脈 仏教では、生まれ変わりを繰り返す「輪廻」こそが根本的な苦しみとされます。つまり「また生まれてしまった=また苦のサイクルに入ってしまった」という意味合いです。解脱(さとり)とは、この輪廻から抜け出すこと。
ちょっと面白い視点
実はブッダ自身も「生まれなければよかった」とは言っておらず、「生を受けたからこそ、さとりへの道がある」とも説いています。つまり「生」は苦でありながら、同時に解脱のチャンスでもあるという逆説的な位置づけなんですよね。
「人身受け難し(にんしんうけがたし)」——人間として生まれることは稀有で貴重だ、という言葉もあります。苦だけど、ありがたい。この矛盾を抱えているのが仏教の深いところです😊
まとめ
還暦を過ぎての誕生日も「誕生日おめでとう!」と言われるとやっぱり嬉しい。
生まれた日に苦しみのスタートラインに立ったことを、現世では打ち消すように「おめでとう、頑張ってね!」と言われているのかな?
まあ、いずれにしてもこの人生、楽しんでいきましょう!
今日で65歳になりました。
※「人身受け難し」(にんじんうけがたし)は、仏教の言葉で、「人間として生まれることは、非常に難しく稀なことだ」 という意味です。


