日本史備忘録(第5章):地球人としての記憶・宇宙人との交流へ向けて


時代は宇宙へと向かっている気がする。
日本人の私は、もっと日本という国を知っておく必要があると思っている。
まずは、一般的な日本の歴史をおさらいしておこう。備忘録にもなる。
第5章:平安時代 ― 幽玄と調和、美意識がつなぐ地球と宇宙
壮麗な奈良の仏像群を経て、日本はさらなる次元へと進化した。
次に現れたのは――美意識による宇宙との共鳴。
宮廷文化が花開き、「雅(みやび)」が人々の心に根づいた平安時代。
この時代に生まれた感性は、地球的な秩序を越えて、**宇宙そのものと調和する“波動”**を内包しているのではないか?
今回は「美」と「精神」の融合から、“地球人の内面進化”を読み解く旅に出よう。


◆ 平安時代とは? ― 静かなる精神革命の時代
平安時代(794年〜1185年)は、政治の中心が京都(平安京)へ移され、貴族文化が栄えた時代。
- 桓武天皇の遷都
- 藤原氏による摂関政治
- 国風文化の確立
- 陰陽道、密教、美術、文学の発展
この時代は、目に見える“国家の力”よりも、**目に見えない“心”と“美”**が中心になっていく。
まさに、「内なる宇宙」との対話が始まった時代と言える。
◆ 幽玄という宇宙感覚 ― 見えないものに美を見出す

● 幽玄とは何か?
「幽玄(ゆうげん)」とは、はっきりと説明できない、けれど**“深く感じる”美のこと**。
それは、たとえば――
- 霧にかすむ月
- 背を向けた女性のしぐさ
- 枯山水の“空白”に込められた意味

幽玄の美は、「見えないからこそ、感じる」もの。
これは、まさに**宇宙人や高次元存在との“非言語的対話”**に似ていないだろうか?
平安人は、宇宙のリズムを“美”として感じ取り、表現していたのかもしれない。
◆ 和歌と宇宙言語 ― 言葉に宿る波動
和歌は、平安時代の人々が感情と自然と宇宙を一体化させた言語アートだった。

たとえば『古今和歌集』の中には、
「みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」
(紀貫之)
というように、「時空」「記憶」「感覚」が織りなされた詩が多数存在する。
このような短歌は、単なる恋愛詩ではない。
むしろ、「人の心=宇宙のひとつの波動体」として捉えた高度な表現とも読める。
◆ 密教と陰陽道 ― 見えないエネルギーとの交信
平安時代には、仏教の一派である**密教(真言宗・天台宗)**が隆盛を迎える。
これは単なる教義ではなく、**宇宙と交信するための“エネルギーワーク”**でもあった。
- 曼荼羅(マンダラ)= 宇宙構造の視覚化
- 護摩焚き= 炎を使った次元間アクセス
- 真言(マントラ)= 音による振動の共鳴

さらに、陰陽道では星の運行や暦、気の流れを重視し、人と自然(=宇宙)との調和を図っていた。
つまり平安人たちは、“地上の神官”として、宇宙と響き合う技法を実践していたのだ。
◆ 美術と装飾 ― 色と模様に宿る宇宙コード
- 漆塗りの器に込められた“陰陽五行”
- 平安貴族の十二単に見られる“自然の配色”
- 屏風絵の余白とバランス= 宇宙の静寂

これらはただの装飾ではない。
宇宙的調和のバイブレーションを“形”として再現する試みである。
◆ 平安時代から学ぶ:静けさがつなぐ“宇宙感性”
現代は、音と光と情報にあふれた“騒がしい時代”だ。
だが平安の人々は、「静けさ」「余白」「見えないもの」に美を見出していた。
宇宙と響き合うには、まず“心の静寂”を取り戻すこと。
その感性が、平安時代にはごく自然に息づいていた。

◆ まとめ:平安時代は、宇宙と詩的に通じ合った時代
力ではなく、音でもなく、言葉ですらなく――
ただ“感じる”ことで宇宙とつながる。
それが幽玄の美であり、和歌であり、密教であり、平安の精神だった。
そして現代の私たちもまた、宇宙人と通じ合いたいと願うなら、
この“静けさに宿る美意識”をもう一度思い出すべきなのかもしれない。
👉 次回予告:【第6章 鎌倉時代】祈りと武士道 ― 精神の覚醒と地球守護の時代へ
次回は、武士の登場によって日本が大きく転換する鎌倉時代へ。
そこには、祈りと剣、禅と武士道という、“守るための精神性”が登場する。
それは、地球のバランスを守る“スピリチュアル戦士”たちの物語なのか?
次回も、どうぞお楽しみに⚔️🧘♂️🌌

