莢(さや):知らない漢字が多いものだと思う

今年初めて、家庭菜園で「枝豆」の種を蒔いてみました。
同時に「オクラ」「落花生」も蒔いたのですが、枝豆の成長が一番良く、たくさんの実を付けてきています。

その様子を娘にLINEで知らせようと文章を書き始めたところ、「さやがたくさんになってきた」の”さや”の漢字がまったく思い浮かびません。(そもそも「さや」という言葉自体も、なかなか出てこなかったのですが…)
調べてみると、さや=莢。見たことのない文字でした。
65年生きてきて、まだこんな身近な漢字を知らなかったのか。ほんとうに知らないことが多すぎて、自分の能力を疑ってしまいます。
もしかして、これが「無知の知」というものなのでしょうか?
莢(さや)の語源
「莢(さや)」は、豆類などの種子を包む殻のことです。
語源は、刀の刃を保護する「鞘(さや)」に由来するといわれています。古代の人が、エンドウなどマメ科植物の殻が、刀を収める筒状の入れ物に似ていることから名付けたそうです。(出典:コトバンク)
漢字の成り立ちを見ると、「草」を表す「艸(くさかんむり)」に、「はさむ」「あわせる」を意味する「夾(きょう)」を組み合わせたもの。両側から中身をピッタリと挟み込む様子から作られた文字です。
なるほど、枝豆の莢を見れば一目瞭然。豆を両側からやさしく挟み込んでいる、あの姿そのものですね。
無知の知とは
「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが提唱したとされる、「自分が何も知らないことを自覚している」という認識のことです。
自分が無知であることを認めることで、謙虚に真理を探究し続けることができる——学びと成長の基本となる姿勢を指します。
ソクラテスは、アテネの賢人たちと対話する中で、「相手は自分が何も分かっていないのに、分かっていると思い込んでいる」ことに気づきました。一方でソクラテス自身は「自分は何も知らない」と自覚していました。「知らないことを自覚している分、自分の方がまだ賢い」と悟ったことが、この言葉の由来だそうです。(出典:東洋大学)
65年生きて、知識は「1」
仮に、世界全体に100万の知識があるとしましょう。
私が65年間で知り得た知識は、そのうち「1」にも満たないのではないか——そう思うのです。
でも、悲観する必要はありません。現在はインターネットという最強の知識の宝庫があります。これを十分に活用して、私自身の知識を、せめて「2」か「3」には持っていきたいものです。
知らないことに出会うたびに落ち込むのではなく、「また一つ賢くなれるチャンスが来た」と考える。それが人生100年時代の学び方かもしれません。
まとめ
枝豆の莢(さや)という、たった一つの漢字との出会いから、ソクラテスの「無知の知」にまで思いを巡らせる、いい時間となりました。
家庭菜園は野菜だけでなく、学びの種も育ててくれるようです。
あなたは最近、「知らなかった!」という発見に出会いましたか?


