日本史備忘録(第6章):地球人としての記憶・宇宙人との交流へ向けて


時代は宇宙へと向かっている気がする。
日本人の私は、もっと日本という国を知っておく必要があると思っている。
まずは、一般的な日本の歴史をおさらいしておこう。備忘録にもなる。
第6章:鎌倉時代 ― 祈りと武士道、精神の覚醒と地球守護の時代へ
平安の雅が静かに揺らぎ、
日本は新たな波動へとシフトしていく――それが「武士」の登場だ。

優雅と詩の時代が終わり、刀と信念の時代が始まる。
でもそれは、決して“暴力”の台頭ではない。
むしろ、精神の覚醒と地球を守るための新たな自覚が芽生えた時代、
それが鎌倉時代だったのではないか。
◆ 鎌倉時代とは? ― 武士と民の“地に足のついた”時代
鎌倉時代(1185〜1333年)は、源頼朝が武家政権を樹立し、武士が政治の中心に立った時代。

- 平家を倒し、源氏による新たな秩序が誕生
- 御家人制度、封建社会の成立
- 幕府による法整備(御成敗式目)
- 北条氏による執権政治
- モンゴル襲来(元寇)という“外敵”との対峙
この時代の根底には、「国家を守る」という強い意志と共に、
“己を律する”ための精神性の深化があった。
◆ 武士道の誕生 ― 戦いに宿る“静かなる祈り”
戦いを生きる武士たちが求めたのは、ただの勝利ではなかった。
- 忠義
- 礼節
- 克己
- 無常観
それらすべてが組み合わさって「武士道(ぶしどう)」が形成されていく。

武士道とは、剣による破壊ではなく、心を整える道。
まるでそれは、地球を守る“ガーディアン”としての魂の在り方そのもの。
武士たちは、自らの生死を超えた理念のために生きた。
それは現代においても、「地球人としての覚悟」を思い出させてくれる。
◆ 禅と武士 ― 心を“空(くう)”にする修行
鎌倉時代に日本へ本格的に伝来したのが、**禅(臨済宗・曹洞宗)**だった。
禅は、武士に深く受け入れられ、やがて「無心の剣」や「静の戦い」という形で融合していく。
禅はこう教える。
- 「坐して心を空にせよ」
- 「一切を手放し、今ここに在れ」

この教えは、まさに宇宙的。
宇宙との対話に必要なのは、知識や言葉ではなく、“空(そら)”の心。
武士は、禅を通じて宇宙のリズムに合わせた生き方を手に入れた。
◆ 日蓮と祈りのエネルギー ― 言霊による“地球防衛”
鎌倉時代は、宗教的にも転換期だった。
- 法然(浄土宗)
- 親鸞(浄土真宗)
- 栄西(臨済宗)
- 道元(曹洞宗)
- 日蓮(日蓮宗)
中でも日蓮は、「南無妙法蓮華経」を唱えることで、
国家を護り、宇宙法則と共鳴しようとした。

祈りの“音(言霊)”によって、地球の周波数を守る。
それは、今でいう“バイブレーションヒーリング”と同じ発想だ。
元寇の襲来にも、「法華経の力」で乗り越えようとした姿には、
言霊を使った防衛エネルギーの概念すら感じられる。
◆ 元寇と“見えざる力” ― 神風は偶然か?
1274年・1281年のモンゴル襲来――日本は絶体絶命だった。
だが、2度とも“暴風”が敵を退けた。
これがいわゆる「神風(しんぷう)」である。
本当に偶然だったのか?
それとも、**祈りと精神が共鳴した“集団意識の力”**だったのか?
この出来事は、集合的エネルギーによる地球防衛の可能性を示しているようにも思える。

◆ 鎌倉時代から学ぶ:心を整え、地球を守る
- 外敵に対して恐れず、内側を整えた
- 戦の中でも「無常観」と「祈り」を忘れなかった
- 自我を捨て、理念に生きた
これらはすべて、**地球を守るための“精神スキル”**だったのではないか?
◆ まとめ:武士は“地球を守る意志”を持った存在だった

刀を抜き、盾を捨て、心で向き合う――
それが武士たちの本質だった。
彼らは、ただ戦う者ではない。
精神の目覚めと地球の守護者という使命を持ってこの時代に現れたのではないか?
現代の私たちが、宇宙とつながりたいなら、
まずはこの覚醒の姿勢を思い出すことから始めてみよう。
👉 次回予告:【第7章 室町時代】混沌と調和 ― 二極のはざまで輝く“美と再構築”の時代
次は室町時代――
戦乱と芸術、秩序と崩壊が同時に存在した**“両極の時代”**へ。
そこには、混沌を受け入れながらも、美と秩序を再構築する日本人の“芯”が現れる。
次回もお楽しみに🌌🗡️🧘♀️