高級焼肉で気づいた「いただきます」と「喫茶喫飯」〜60代、ながら食べをやめてみた


みなさんこんにちは。ハウルブログです。今日も元気にお過ごしでしょうか。
人生100年と言われる時代です。還暦(60歳)を過ぎても、まだ残り40年あります。このブログが、還暦を過ぎたみなさまにとって何かのヒントになればと思い、書き続けています。
今日は「焼肉」について書いてみます。……と言いながら、最後はなぜか野球とゴルフの話になります。お付き合いください。
同級生のご厚意で、憧れの高級焼肉へ
昨日、中学校時代の同級生に焼肉をご馳走になりました。
彼は事業を営む経営者として、今も第一線で頑張っています。
連れて行ってもらったのは、自分ではなかなか暖簾をくぐれない高級店。有り難いことこの上ありません。
この日は、もう1人の友人が65歳で定年退職したお祝いの席でした。
【長年勤め上げた友人の、ほっとしたような、少し照れたような顔が印象的でした。】
中学時代の仲間と、それぞれの人生の節目を祝えるのは、この年齢になったからこその幸せだと感じます。
運ばれてきたお肉は、見ただけで「これは違う」とわかる上質なもの。【網に乗せた瞬間の音と香り、口に入れたときにふわっと溶けていく感じ】に、思わず無口になってしまいました。
冷えたビールとの相性も最高で、おじさん4人、しばらく「うまい」しか言っていなかった気がします。
お肉を見て、牛さんを思う
最近、食への関心が深くなり、『食と霊性』などの本を読んでいます。そのせいか、食材の向こう側を考えるようになりました。
テーブルの上のお肉は、ひとつの命です。
屠殺されるときの牛の感情が肉にこもる、という話を聞いたことがあります。この牛さんはどうだったのだろう、と焼き網を前にふと考えてしまいました。
答えはわかりません。ただ、感謝していただくことで、その命が少しでも報われるのかもしれない。そう思いながら、一枚一枚を大切にいただきました。
「食べる前に、感謝する時間を取る」
「食べる前には、いつも食べ物に感謝する時間を取ることだ」
これは北米先住民アラパホ族の言葉として伝えられているものです。
考えてみると、私たち日本人は当たり前のように「いただきます」と手を合わせてから食べます。あのほんの数秒こそが、食べ物に感謝する時間なのだと思います。
子どもの頃から何気なく言ってきた言葉ですが、60代になって、その深さにようやく気づいた気がします。
喫茶喫飯(きっさきっぱん)
「喫茶喫飯」とは、「お茶を飲むときはお茶を飲むことに集中し、ご飯を食べるときはご飯を食べることに集中する」という意味の禅語です。
以前の私は、テレビやYouTubeを見ながら食事をするのが当たり前でした。気づけばお皿が空っぽで、何を食べたかよく覚えていない、なんてこともしばしば。
そこで最近は、食事の最初の15分ほどは、画面を見ずに食べることだけに集中するようにしています。
すると不思議なもので、味覚が研ぎ澄まされたように感じ、同じご飯でも深く味わえるようになりました。
お米のご飯では鉄板のTKG(卵かけごはん)も、卵の味・ミネラル塩の味・玄米の味が深く感じられるようになりました。
高級焼肉でなくても、毎日の食事がちょっとしたご馳走になる。これはなかなかお得な発見です。
野球やゴルフの練習も「ながら」をやめてみた
食事に集中するようになってから、ふと「これは野球やゴルフの練習も同じではないか」と思いつきました。
そこで、練習中に聞いていたYouTubeや音楽を止めてみたのです。
野球の素振りでは、ピッチャーが投げてくる球をイメージしたり、試合中にサインが出る場面を想像したりしながら振れるようになりました。ただバットを振るだけの時間が、身の入った練習に変わった実感があります。
ゴルフも同じです。目をつぶってスイングすると、振り幅やヘッドが走る感覚を体で感じられるようになってきました。
このまま続けたら、きっと上手くなる。そう自分で勝手に確信しています。結果が出たら、またこのブログで報告しますね。(出なかったら……そっとしておいてください。)
まとめ
焼肉の話から、いつの間にか「物事に集中する」話になってしまいました。
還暦を過ぎると、こんなふうに一皿のお肉からあれこれ考えてしまうのも、まあしょうがないのかなと思います。でも、それもまた年齢を重ねた楽しみのひとつかもしれません。
みなさんも、次のお食事で最初の数分だけ、テレビ・YouTubeを消して味わってみてはいかがでしょうか。いつものご飯が、ちょっと違って感じられるはずです
最後に。
焼肉を美味しく食べられる健康な「歯」と「体」、そしてご馳走してくれた友人に、心から感謝しています。

