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神社仏閣

惟神の道(かんながらのみち)とは?60代の私と霧島神宮

霧島神宮を思わせる杉木立と朱色の鳥居・社殿に「惟神の道(かんながらのみち)とは?60代の私と霧島神宮」の文字
noira.0453@outlook.jp
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ハウル
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みなさんこんにちは。ハウルブログです。今日も元気にお過ごしでしょうか。

人生100年と言われる時代です。還暦(60歳)を過ぎても、まだ残り40年あります。このブログが、還暦を過ぎたみなさまにとって何かのヒントになればと思い、書き続けています。

今日は「惟神の道(かんながらのみち)」について書いてみます。

結論から言うと、惟神の道(かんながらのみち)とは、「神の御心のままに」「神であるそのままに」生きる道のことです。

むずかしい漢字ですが、ひとことで言えば「神道(しんとう)」そのものを指す言葉です。人の手で無理に変えず、昔から伝わる自然なあり方に従って生きる。そんな考え方です。

きっかけは、図書館で借りた一冊の本でした。

図書館で借りた森井啓二さんの本

借りたのは、森井啓二さんの『神の国日本の美しい神社 神々と共に歩む最高の人生』(きれい・ねっと)です。

最近よく使っているのが、図書館の「リクエスト」です。読みたい本を図書館にお願いしておくと、用意ができたら連絡をくれます。約2,000円の本も、無料で読めるのです。

年金暮らしの私にとっては、本当にありがたいシステムだと思います。

正直に言うと、まだ、ちょっとしか読んでいません。それでも、最初のほうに出てきた「惟神の道」という言葉が、心に引っかかりました。

本の中で心に残った一文や、読んで感じたことは、読み終えたらここに追記します。

惟神(かんながら)の意味と読み方

まず、読み方です。

  • 惟神:かんながら、または、かむながら
  • 惟神の道:かんながらのみち
  • 「随神」「神随」と書くこともあります

意味は、「神の御心のままに」「神であるそのままに」という古い言葉です。

日本書紀に出てくる「惟神」

出典として有名なのは、『日本書紀』の孝徳天皇の条(大化3年、西暦647年の詔)です。

その注に、「惟神とは、神の道に従うこと。また、おのずから神の道があること」という意味の説明が添えられています。1,300年以上も前から、この言葉は使われていたわけです。

万葉集の「神ながら」

『万葉集』では「神ながら」と書かれています。天皇の行いを、神の意志そのものとしてたたえる歌に使われています。

江戸時代からは「神道」を指す言葉に

江戸時代ごろからは、「惟神の道」という形で、神道そのものを指す言葉として広まりました。戦前には、国家神道の考えを表す言葉としても、よく使われたそうです。

いまでは、神社の祝詞(のりと)や神道の解説の中で、「神の御心に沿って生きる」という意味で使われています。

惟神の道を「龍と共に歩む」

本の中には、「惟神の道を龍と共に歩む」という言葉も出てきます。(書籍の表紙にも龍が描かれています)

神社には、龍の彫刻や、龍の口から水が出る手水舎(ちょうずや)がよくありますね。龍は、昔から水や天とつながる神さまの使いとされてきました。

神の御心のままに、龍に導かれるように歩いていく。なんとも心強いイメージです。

ほかにも、本にはこんな言葉が並んでいました。

  • アファメーション:「私は〜です」と、なりたい自分を言葉にして唱えること
  • ムドラ:仏像やヨガで見かける、手や指で形を作る「印(いん)」のこと
  • マナス:インドの古い言葉(サンスクリット語)で「心」「意」のこと

神社の本なのに、ヨガやインドの言葉が出てくるのは意外でした。でも、神さまや心の世界は、国の境をこえてつながっているのかもしれません。

私と神社の繋がりのきっかけは霧島神宮

私にとって、神社との繋がりのきっかけは「霧島神宮」です。

長男の住む宮崎へ行ったあと、帰りに立ち寄ったのが始まりでした。

自宅からは車で2時間もかかるのですが、毎月1〜2回は通っていました。(最近は、ガソリン代などの経費の面もあり、回数が少なくなっています)

霧島神宮で買った、赤と緑のお面を自宅に飾っています。

リンクお面購入:猿田彦面(霧島神宮九面)

清々しい風と、杉の木のパワー

神社に行くと、なんとも清々しい風にあたることができて、気持ちがいいのです。

境内には、大きな杉の木があります。その杉の木に抱きついて、パワーをいただいて帰ることにしています。(はたから見ると、ちょっと変なおじさんかもしれません)

何ヶ月も枯れない榊

霧島神宮では、榊(さかき)も無人販売されていて、いつも買って帰ります。

不思議なことに、霧島神宮で買った榊は、何ヶ月も枯れない気がするのです。気のせいかもしれません。でも、こういう「気がする」を大事にすることも、惟神の道なのかな、と思います。

そんなこともあって、今回、神社の本を借りてみることにしました。

60代から惟神の道を歩くには

では、惟神の道を歩くには、どうしたらいいのでしょう。むずかしい修行は、私にはできませんが、私なりに考えた、今日からできることです。

  • 近くの神社に、散歩がてら手を合わせに行く
  • 境内の木や風を、言葉にせずにそのまま感じる
  • 神棚の榊や水を、こまめに替える
  • 「ありがたい」と思ったことを、声に出して言ってみる(これもアファメーション)
  • 自分の力でどうにもならないことは、「神さまのまにまに」と、ゆだねてみる

60代になると、体も思うように動かないことが増えます。無理に逆らわず、自然な流れに身をまかせる。惟神の道は、人生100年時代の後半を生きる私たちに、ちょうどいい考え方なのかもしれません。

以前、出口王仁三郎の耀盌の記事を書きました。王仁三郎も、神の道を生きた人でした。

まとめ:神の御心のままに、自然に生きる

今日は、「惟神の道(かんながらのみち)」について書きました。

  • 惟神の道とは、「神の御心のままに」生きる道。神道そのものを指す言葉
  • 読み方は「かんながら」「かむながら」。日本書紀や万葉集にも出てくる、古い言葉
  • 森井啓二さんの本には、「惟神の道を龍と共に歩む」という言葉や、アファメーション・ムドラ・マナスの話も
  • 私の神社との繋がりは、霧島神宮。清々しい風、杉の木のパワー、枯れない榊

本は、まだ少ししか読んでいません。続きを読んだら、また書いてみたいと思います。

みなさんも、今日は近くの神社で、風を感じてみてはいかがでしょうか。

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ハウル
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自由を目指すアラカン
「人生100年時代」をともに生きるあなたへ。
何かヒントになればと思い2022年11月にブログをスタートしました。
旅(神社仏閣巡り)・還暦野球・ゴルフやってます。

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