真実はどこにある?:恐竜が住む時代が本当にあったとすれば、今は人類が住む時代|もう一度地球はリセットされてもおかしくない

真実はどこにあるのか?真実を求めて仏陀も空海さんも精進された。
でも、実は「神」と呼ばれているものが宇宙人だとしたら、疑問点は全て解決するのではないだろうか?そんなことをふと思う。
「神」を宇宙人と置き換えてみると、不思議と辻褄が合う
世界中の神話には、空から降りてきた存在の話がやたらと多い。天から来た、光とともに現れた、人間に知恵や火や農耕を授けた——。国も時代も違うのに、語られる構図はどこか似ている。
もし「神」という言葉を、当時の人々が理解できる範囲で「自分たちよりはるかに進んだ知性を持つ存在」を呼んだものだとしたら。雷を扱い、空を飛び、病を治す。それを目にした人が「神」と呼ぶのは、ごく自然なことだったのかもしれない。
仏陀や空海さんが求めた「真実」とは、必ずしも宇宙人の正体を暴くことではなかったと思う。けれど、人間を超えた何かに触れようとした、その姿勢そのものは、案外こうした「来訪者」の記憶と地続きなのかもしれない——そんなふうに想像すると、ぞくっとする。
恐竜の時代があったなら、人類の時代もまた「一つの章」にすぎない
考えてみれば、地球はこれまで何度も主役を入れ替えてきた。
数億年ものあいだ、地上を支配していたのは恐竜だった。彼らからすれば、自分たちの世界が終わるなんて想像もしなかったはずだ。ところが、たった一度の出来事——隕石とも、気候変動とも言われる——で、その長い時代はあっけなく幕を閉じた。
そして今、その空いた席に座っているのが人類だ。
恐竜の時代が「本当にあった」のなら、人類の時代もまた、地球の歴史という長い本の、ほんの一章にすぎない。永遠に続く特別な時代ではなく、いつか次のページがめくられる前提の、いまここ、なのだ。
もう一度、地球はリセットされてもおかしくない
そう思うと、「地球がもう一度リセットされる」という考えも、決して荒唐無稽には聞こえなくなる。
恐竜が消えたように、人類の章にもいつか終わりが来る。それが隕石なのか、気候なのか、自分たち自身の手によるものなのかは分からない。けれど「リセットは起こりうる」という一点だけは、過去がすでに証明している。
ここで冒頭の問いに戻る。真実はどこにあるのか。
もしかすると真実とは、「答え」という形でどこかに転がっているものではないのかもしれない。恐竜の時代も、神と呼ばれた来訪者も、いつか来るリセットも——そのすべてを、人類というちっぽけな一章の中から見上げて、それでもなお問い続けること。その姿勢の中にこそ、仏陀や空海さんが求めたものはあったのではないか。
答えは出ない。出ないけれど、こうして夜空を見上げて「本当のところはどうなんだろう」と考える時間そのものが、私はけっこう好きだったりする。
あなたは、真実はどこにあると思いますか?



