シャブダ・ブラフマンとは?宇宙は「音」から始まる


みなさんこんにちは。ハウルブログです。今日も元気にお過ごしでしょうか。
人生100年と言われる時代です。還暦(60歳)を過ぎても、まだ残り40年あります。このブログが、還暦を過ぎたみなさまにとって何かのヒントになればと思い、書き続けています。
今日は「シャブダ・ブラフマンとは何か?」について書いてみます。
結論から言うと、シャブダ・ブラフマンとは、「音(言葉)」そのものが宇宙の根本であるという、インド哲学の考え方です。
- シャブダ(śabda):サンスクリット語で「音」「言葉」「声」
- ブラフマン(Brahman):「宇宙の根本原理」「最高の実在」
2つを合わせて「音としてのブラフマン」「言葉としての最高の実在」。
宇宙は、物から生まれたのではなく、音の響き(振動)から現れたと考えるのです。
なんだか、壮大な話ですね。
でも調べていくと、空海の教えや、聖書の言葉とも、不思議につながっていました。
きっかけは森井啓二さんの神社の本
いま読んでいる、森井啓二さんの『神の国日本の美しい神社 神々と共に歩む最高の人生』。
惟神の道(かんながらのみち)の記事や、昨日のムドラと印の記事でも紹介した本です。
この本に、「シャブダ・ブラフマン」という言葉が出てきました。
「ブラフマン」は、どこかで聞いたことがある。
でも、なんなんだろう?
そう思って、調べてみることにしました。
もう一つ、気になっていることがあります。
この本には、アメリカの「眠れる予言者」エドガー・ケイシーの名前も、たびたび出てきます。
インドの哲学とケイシー。関係があるのかな?
シャブダ・ブラフマンとは?「音」が宇宙の根本
ブラフマンは、インドの古い聖典(ウパニシャッド)に出てくる、宇宙の根本原理です。
すべてのものは、ブラフマンから生まれ、ブラフマンに帰っていく。
そのブラフマンを、「音」や「言葉」として捉えたのが、シャブダ・ブラフマンです。
主に、インドの「ヴェーダーンタ学派」や、言葉を研究した「文法学派」で語られてきました。
宇宙は「音」から始まった
この考え方では、宇宙の万物は、目に見えない微細な「音の響き」から現れたとされます。
これを読んで、思い出した言葉があります。
新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭です。
「初めに言(ことば)があった」
インドと聖書。遠く離れた土地で、同じようなことが語られている。
宇宙の始まりに「言葉」や「音」を置く考え方は、人類に共通する感覚なのかもしれません。
聖音「オーム(AUM)」とは?
シャブダ・ブラフマンを、いちばん具体的に表したものが、聖音「オーム(AUM)」です。
ヨガ教室で、最後にみんなで「オーーーム」と唱えるのを聞いたことがある方もいると思います。
オームは、「ア(A)」「ウ(U)」「ム(M)」の3つの音でできているとされ、
この一音の中に、宇宙の創造・維持・破壊のすべてが含まれているといわれます。
オームを唱え、その響きに心を向けることで、自分の意識が宇宙の根本へ近づいていく。
それが、インドの修行者たちが目指してきた道です。
「阿吽の呼吸」も同じ根っこ
ここで、日本人にもなじみのある言葉が出てきます。
「阿吽(あうん)」です。
神社の狛犬は、片方が口を開けた「阿」、もう片方が口を閉じた「吽」になっています。
「阿」はサンスクリット語の最初の音、「吽」は最後の音。
始まりから終わりまで、つまり宇宙のすべてを表すとされます。
オームの「ア・ウ・ム」と、阿吽の「ア・ウン」。
よく似ていると思いませんか。
神社の「狛犬」やお寺の門の両側に経つ「金剛力士像」をよく見ると片方は口を開け、もう片方は口を閉じていることに気が付きます。
言葉の4つの段階:パラーからヴァイカリーへ
シャブダ・ブラフマンを、哲学として深めたのが、5世紀ごろのインドの文法学者バルトリハリです。
著書『ヴァーキヤ・パディーヤ(文章と単語についての書)』の冒頭で、ブラフマンは「言葉の本質」そのものだと述べています。
インドでは、言葉は次の4つの段階を通って、口から出てくると考えられています。
| 段階 | どんな言葉か |
|---|---|
| パラー | 最も根本の、現れる前の「至高の言葉」 |
| パシュヤンティー | 心の中でパッと見える、まだ分かれていない言葉 |
| マディヤマー | 頭の中で考えている「内なる声」 |
| ヴァイカリー | 口から出て、耳で聞こえる言葉 |
ちなみに、バルトリハリが説いたのは、パシュヤンティー・マディヤマー・ヴァイカリーの3つでした。
いちばん奥の「パラー」は、のちにカシミール地方の哲学者たちが付け加えた、という見方が有力です。
私たちの「いつもの言葉」も宇宙につながっている
この考え方のおもしろいところは、
私たちが毎日しゃべっている言葉(ヴァイカリー)も、元をたどれば宇宙の根本(パラー)から湧き出ている、という点です。
「おはよう」も、「ナイスショット」も、元は宇宙の響き。
そう思うと、何気ない一言も、ちょっと大切にしたくなります。
日本には、言葉に霊力が宿るという「言霊(ことだま)」の考え方がありますね。
よい言葉を口にすれば、よいことが起きる。
これも、シャブダ・ブラフマンと通じるところがあると思います。
空海の「声字実相義」とのつながり
ここで、私の大好きな空海が登場します。
空海には、『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』という著作があります。
声(音)と字(文字)が、そのまま宇宙の真実の姿(実相)である、という教えです。
その中に、こんな一節があります。
「五大にみな響きあり」
地・水・火・風・空。宇宙をつくる5つの要素すべてに、響きがある。
大日如来の説法は、宇宙のあらゆる響きとして、いまも聞こえている。そう空海は説きました。
真言密教で唱える「真言(マントラ)」も、まさに音そのものの力を大切にする教えです。
昨日のムドラと印の記事で書いた「三密加持」でも、口で真言を唱える「口密」が、3つの柱の一つでした。
インドで生まれたシャブダ・ブラフマンの考え方は、仏教の密教を通って、空海の手で日本にも届いていたのだと思います。
(声字実相義は、いつか別の記事でじっくり書きたいテーマです)
空海については、空海の理趣経の記事や、仏教の宗派マップの記事でも書いています。
エドガー・ケイシーとは関係があるの?
最後に、本を読みながら気になっていた、エドガー・ケイシーとの関係です。
エドガー・ケイシー(1877〜1945年)は、眠った状態で人々の相談に答えた「リーディング」で知られる、アメリカの人物です。
調べてみると、森井啓二さんは、日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田秀さんと、ケイシーをテーマにした対談の本(『神理の扉』)も出しています。
本の中にケイシーがたびたび出てくるのは、そのためだと思います。
では、ケイシーがシャブダ・ブラフマンを説いたのか、というと、そうではありません。
ケイシーはインド哲学の学者ではなく、直接の関係は見当たりませんでした。
ただ、共通点はあります。
ケイシーのリーディングでも、「振動(バイブレーション)」がとても大事にされています。
瞑想の前に「アー」「イー」「オー」「ム」と、オームに似た音を声に出して唱える方法も勧めていたそうです。
インドの聖者、空海、ケイシー。
時代も場所もばらばらなのに、みんな「音」や「響き」を大切にしている。
直接の関係はなくても、同じ山を、別の登山口から登っている。そんな感じがします。
まとめ:毎日の言葉を、少し大切に
今日は、「シャブダ・ブラフマンとは何か?」について書きました。
- シャブダ・ブラフマンは、「音(言葉)」そのものを宇宙の根本とするインド哲学の考え方
- 宇宙は、音の響き(振動)から現れたとされる。聖書の「初めに言があった」とも似ている
- いちばんの象徴は、聖音「オーム(AUM)」。日本の「阿吽」とも根っこが同じ
- 言葉は、パラー → パシュヤンティー → マディヤマー → ヴァイカリーの順に、口から出てくる
- 空海の『声字実相義』の「五大にみな響きあり」にも、同じ考え方が流れている
- エドガー・ケイシーと直接の関係はないが、「振動」を大切にする点は共通している
むずかしい哲学ですが、私なりに受け取ったことは一つです。
ふだん口にする言葉も、宇宙の響きの一部。
だから、どうせなら、よい言葉を使いたい。
「ありがとう」「ナイスプレー」「おかげさまで」。
65歳の私も、今日から、口から出る言葉を少しだけ大切にしてみようと思います。
私は新日本プロレスが好きでよく実況中継を観ていますが、選手がピンチの時に観客から名前を呼ばれると元気になるようです。
声援の力、「言葉の力」は大きいと感じています。


